1996年当時、国民的娯楽と呼ばれたパチンコは、日本中に約1800店、3000万人が遊んでいました。
年間に動いたお金は30兆円にも上り、 自動車産業を抜く勢いでした。

パチンコもパチスロもどちらも人気があり、庶民に親しまれてました。

 

1994年の春にパチプロ梁山泊の16名が、 関西から首都圏に上がり、

14名で、1日に平均、78万発350万円を出していました。

 

すぐに、噂になり速攻でマスコミの方たち(テレビカメラ)が、密着取材という事で、梁山泊に同行することになり、
これが一つの大きな武器となりました。

大体の、パチンコ店は梁山泊が来れば警察を呼ぶので

警察には、マスコミの方が対応(梁山泊は違法なことはしていません)言った 対応をしてくれました。

 

当時は連チャン機全盛時代で、 普通に打っていても、

連チャンするのが当たり前でした。

 

梁山泊の 攻略法は、何が凄いかと言えば、一度大当たりが来ると

お店の閉店まで 続く簡単に言えば、永久連チャン打法です。

パチンコ店もその 攻略法に対策が取れない(物理的に無理)といった

梁山泊を破速させました。

 

西陣という パチンコメーカーの「春一番」

と いうパチンコ台(セブン機、フィーバー台)で 稀に見る完璧な 攻略法で、

各都道府県を攻め 、最終的には全国制覇 していました。

梁山泊の 存在はパチンコ業界を震撼させ、一般のパチンコファンからは拍手喝采でした。本当のお話です。

マスコミに火がつき、週刊誌(週刊大衆、アサヒ芸能)にトップで連 載され、報道番組に出演し、漫画になり、
ビデオ(Vシネマ全6シリーズ)になり、 映画にもなり上映されました。 

報道の番組や バラエティー番組など出演し更にVシネマも

人気が出て有名になりました。

 

以上/浪花の哲